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『死後の世界を探求する』から臨死体験について考察

どーも、魂を信じている丸山です。

今回はNetflixドラマ『死後の世界を探求する』を観ました。

https://www.netflix.com/title/80998853

これは何ですか?

 

「臨死体験ドキュメンタリー」です。

 

鑑賞時間は報われる?

全6エピソードです。1話が1時間近くあります。

真偽を問うような内容ではなく、体験談詰め合わせという感じです。

信じたい人向けの内容と言えるでしょう。

それ以外の人には報われないかもしれません。

基本的な構成は?

臨死体験のほかにも、霊の口寄せ、降霊術、輪廻転生なども含まれます。

中立的に解明しようとする人は登場しないようでした。

みどころは?

いろいろな人の体験談を当事者が語ってくれます。しかし、そもそも懐疑的に見られることの多いジャンルでもあり、それら当事者が全て本物かどうかさえ、ただの視聴者には確認のしようがありません。

評価の理由

☆2です。

もうちょっと真偽に踏み込んだ内容を期待していたのと、科学的な考察が全くなかったため、少し低めになりました。

続編はある?

かなりお腹いっぱいになりますし、続編はないでしょう。

どこで観れますか?

Netflixオリジナルなので、Netflixでどうぞ。

https://www.netflix.com/title/80998853

今回の本編

さてここからは、臨死体験についての考察を書いていきます。私個人の見解です。

ぱっと見、否定派のように誤解されるかもしれませんがそうではないので、読み始めたら最後までお読みいただければと思います。

臨死体験とは、医学的に死亡した状態から蘇生するまでの間に見聞きした特別な体験の事です。

 

そもそも死んで蘇生される人が人口に対して多くはないので、かなり稀な体験ということになります。

 

このドラマシリーズは、臨死体験をした本人とされる人、そして霊媒師などのセッションを通じて臨死体験について取り扱うドキュメンタリーとなっています。

 

臨死体験の問題点は2つあります。

 

1つ目は、死んでみないと試せないこと。当然ですが、ほとんどの体験者は進んで死んだわけではありません。そして、たまたま生き返った。生き返らなければ体験を語れないのです。

 

2つ目は、主観的な内容であり客観的な検証ができないこと。超自然的なあらゆるものを肯定的に受け入れる人であっても、臨死体験だけは個別に考える必要があります。それは、体験した人にしかその内容が見えないからです。その人の口で語られる内容でしか知る方法がありません。これでは、その人が見たものが夢なのかそれ以外なのか、具体的にその正体を捉える事ができないわけなのです。

 

そういった問題点にこのドラマシリーズが切り込んでいるのか。この点が重要です。

しかしドラマの内容のほとんどが、体験者と、霊媒師などのセッションで構成されており、客観的な検証に努める気は全くないようです。つまり、信じる人、信じたい人に向けられた内容です。それが本物かどうかを知りたい人の期待に応えてくれる内容ではないようでした。

 

ここでいったん、私の立場を書きましょう。私は超自然的なものは全て肯定的に受け入れつつ、それらについて独自の見解や答えを持っています。まず、信じる人は「信じたいから信じる」という状況に陥りやすいです。私も以前はそうでした。しかし、それが本物かどうか疑問を持った時から、どれが本物でどれが偽物なのかをしっかりと考えるようになりました。

 

だから、臨死体験も信じるかどうかより、それが本物かどうかを知りたいというのが本音です。しかし、それがとても難しいのです。それはなぜか?

 

「昨日、キムタクに会ったんだよ!イケメンだった」

「宝くじ10万円当たったことある」

「今朝は5時に目が覚めたよ」

 

この中で、どれが信じられるでしょうか。それは、信じたいかどうかによるでしょう。全部信じてもいいし、信じなくてもいい。

 

問題は、それが事実かを確かめられない事です。その人の口頭でしか表現されない話を、どのように真実だと確かめられるでしょうか。

 

つまり、内容は問題ではありません。他人の話が事実かどうかを確かめる方法はないのです。

 

臨死体験は正にそれと同じです。客観的な観察ができないので、体験者の話でしか内容を知る事ができません。それを嘘だと言っているのではなく、確かめられないという事です。

 

このような体験を語る人は大きく2つに分けられます。その体験によって稼ぎたいか注目されたい人、または本当の体験を語っている人です。

 

いずれにせよ、それが本当の臨死体験なのかを重視します。後者ならば本物なのではないの?と思うかもしれませんが、そう簡単ではありません。

 

先ほど書いた、

 

「昨日、キムタクに会ったんだよ!イケメンだった」

「宝くじ10万円当たったことある」

「今朝は5時に目が覚めたよ」

 

ですが、実際には下記のような事実だったとしましょう。

 

「昨日、キムタクに会ったんだよ!イケメンだった」

⇒キムタク似の一般人だが本人にはキムタクに見えた

 

「宝くじ10万円当たったことある」

⇒嘘や記憶違い

 

「今朝は5時に目が覚めたよ」

⇒寝ぼけていたか記憶違い

 

しかしその事実に対して、当人の体験はあくまで「その人には本物」です。当人の認識が体験として事実なのです。そして認識上の事実は、客観的な証拠によってしか覆せません。

 

例えば、キムタク似の人物とすれ違う写真がたまたま撮影されていれば、それが認識違いの証拠となります。そのような客観的な証拠がない限り、現実の事実がどうであれ、「認識上の事実」が当人の「事実」となってしまうことは避けようがありません。

 

そのような認識上の事実が、ただの日常の会話ならば問題ありません。しかし、死生観に影響するような臨死体験を全て事実として受け入れる事には弊害がないでしょうか。信じたいならばこそ、それが本物であるかどうかを確かめる事は重要なはずです。

 

しかし、その方法がありません。これは大いに問題です。

 

よく用いられる方法は、霊媒師です。残念ながら霊媒師の全てが本物ではありませんし、感覚的にはほとんどが偽物です。

 

霊媒師の能力の程度や種類にもよる。と言えば確かにそうかもしれません。しかし、それでは客観的な証拠にはなりえません。

 

臨死体験以上に、霊媒師が本物かどうかのほうが遥かに怪しいからです。

 

霊媒師が本物であるならば、依頼者と死者の魂とで会話すればいいのです。

 

イタコ?あれは偽ですよ。依頼者の精神の安らぎのためにあるという見解を支持します。

 

イタコも霊媒師も共通点は、論法にあります。誰にでも通用するような汎用的な話術なのです。

 

信じたい側の人ならば、「いや、本物もいるんだよ」と言うでしょう。

 

誰も知らない事実を霊視によって語るという結果を出せる実力者がいても不思議ではありません。私もそういう事には肯定的なのです。

 

しかし、その力の根源が科学的に解明されない限り、正体不明の力です。

 

目の前に、死者の思い出がある依頼者がいます。その人しか知らない事実を霊媒師が語ったとしたら、何かしらの超自然的な力によって知ったのは間違いないでしょう。それが勘によるものでない限り。

 

その力の根源は非常に幅広く考えられます。依頼者の考えている事が分かる。依頼者の体験が映像的に見える。地球の全ての歴史を遡って言語的に分かる、または映像的に分かる。神仏が教えてくれる。などなど、科学的な断定がされていない以上、いくらでも考えられるのです。

 

依頼者と死者の思い出を、語った。

 

この結果だけでは、その力がどのように働いているかは分からないのです。その力が真実かどうかさえ分かりません。

 

再度宣言しますが、私は信じていないわけではありません。確認できない限り、それが本物かは分からないというのは事実、という論点です。

 

さて、このドラマシリーズでは、臨死体験が本物であるかどうかについて追及しているのでしょうか?

 

半分以上流し見をしてしまったため細部を見逃した可能性もありますが、そのような追及はしていないようです。たまに科学者的な人が登場しますが、完全に「信じる側の人」としてのコメントなので、信用には値しません。あくまでも信じたい人のための肯定的な見解のみで構成されたドキュメンタリーといえるでしょう。

 

改めて、臨死体験とはなんでしょうか?

 

そこで語られるのは、死後の世界、魂の存在、霊の存在。そしてそれを支える霊能力者と、体験者。それに付随して、霊媒師を信用して死者の言葉を期待する家族。

 

一言で表すならば、魂は存在するのか?ということです。

 

日本の宗教観で言えば、死者の魂はお盆には帰って来るけれど、基本的に成仏するので遺族と共に過ごすなんて事はありません。キリスト教でも天国か地獄に向かうはずなので、「あなたといつも一緒にいるわ」などと言われて素直に喜んではいけないはずです。

 

しかし依頼者は目を輝かせます。なぜならば、人は基本的に信じたいものを信じるからです。

 

信じたい人が相手なのだから、エセ霊媒師は楽です。信じられるストーリーを与えれば満足してお金を払ってくれるからです。そのストーリーは何によって得たものか?それを明らかにする事が最も深いミステリーかもしれませんよ。

 

このように、臨死体験は1つのカテゴリーに収まりきらない複合的な内容を含みます。仮死状態で何か見たよ、凄いね!では済まないのです。誰もが魂の存在を感じずにはいられません。

 

しかしです。(今回何度、しかしと書いたでしょうね)

 

いったん別の話をします。

 

幻覚作用のあるドラッグや植物が存在します。それらが肉体にもたらすのは、日常ではありえない感覚の変化です。特に、脳で作用しています。幻覚も快楽も、脳が作り出すものです。それをドラッグが引き起こしているだけであって、根本はドラッグではなく、脳にあります。脳にそういった機能が備わっていて、それをドラッグが半ば強制的に引き起こしているのです。

 

では、ドラッグ以外でそのような状態になることはないのでしょうか?

 

比較的体験者が多い事実として、大怪我をした時、しばらく経ってから痛みがやってくるという事があります。これは、脳が麻薬成分を脳内で合成して、痛みを感じなくしているからです。

 

ランナーズハイという現象では、肉体が特定の状態にある時、とても気持ちよくなるらしいのですが、これも脳が合成した麻薬成分の効果によるものです。

 

限定的ではありますが、脳にはそういった日常では起こらない感覚を引き起こす事ができます。死ぬほど辛い痛みには、脳内麻薬が効くという事を脳が知っているということです。

 

では、死ぬ瞬間に脳はどのように機能するのでしょうか。恐らくですが、死の苦しみを和らげるために優しい成分がたくさん出てくるでしょう。死の危機に直面した時、記憶の走馬灯が起こるのも脳内物質が過剰に作り出されるからです。時間がゆっくりに感じられるというやつです。

 

実際に死んでしまった後、蘇生されるまでの間に脳は本当に停止しているのでしょうか。

 

医学的には「死んでいるし脳も停止している」とされ、

 

信じる人達もそれを肯定しつつ、「脳が停止しているのだからその間の体験は魂が存在する証拠だ」というように展開されます。

 

しかし、脳の機能は完全に解明されていないのはご承知の通りです。死後、数分程度は脳は機能しているという説もあります。

 

その説からすれば、臨死体験は「肉体を離れた魂によるもの」ではなく、「脳が見せている」という事になります。

 

更に、とても厄介な問題があります。脳は比較的簡単に、幻覚や夢を作り出せます。必要ならば、存在しないものを見せるのです。

 

夢は、あり得ないものでも容易に描き出します。それが夢とは感じられないほど現実的な夢も見ます。臨死体験が、死亡中に見た夢だったかどうかをどうやって区別できるでしょうか?少なくとも現代においては不可能です。

 

夢は、時折現実の記憶と混同してしまう事があります。そのぐらい夢はリアルなのですから、臨死体験を体験者が本物だと感じるのは避けようがない事です。

 

そうすると今度は、知りようのない出来事を知っているから夢ではないという反論が出てきます。

 

脳が機能しているならば、周りの会話は頭に入ってきます。

 

肉体と意識の感覚が別の場所にあったという体験談があります。しかし、死亡という脳にとって究極の状態において、そのような超感覚が発生することは全く不思議ではありません。なんせ、蘇生したのですから。

 

死亡しなくても、そのような超感覚は睡眠障害のある人には日常的に起こります。覚醒意識と夢を同時に見る人がいるのです(私ですが)。

 

何でも既存の科学で証明できる!と息巻いていたUFO教授のような事を言っているのではありません。事実として、他の体験に置き換え可能で、区別のつけようがない事象なのですから、慎重に検討する必要があるのです。

 

いや待って。会話していない事実や離れた場所の出来事まで死亡中に体験した件はどう説明するの?

 

と言われる人もいるでしょう。

 

はい、その通りです。その場で知りえない事を体験したと語る人は存在します。

 

これには2つ考えられます。

 

一点目。

蘇生後、その体験談は即座に語られたのでしょうか。

 

少し落ち着いてからではないでしょうか。そもそも、臨死体験とは、蘇生後すぐに語られた事例はあるのでしょうか。死んでいたわけですから、麻酔が効いていたりなどで早くても数時間後や後日に目が覚めるのではないでしょうか。

 

その間に夢は全く見ないのでしょうか。そんなことはないでしょう。何らかの夢を見たはずです。その際、病室の自分を見下ろす夢を見る事は不思議ではありません。夢の中では空も飛べます。

 

目が覚めるまでの間、様々な人の会話やTVの音声は流れていないのでしょうか。それらが脳に届いて情報処理された可能性があります。

 

二点目。

超自然的な力によるものも考えられます。

しかし臨死体験ではない場合について書きます。

前のほうで書いたように、力の根源は様々ですが、臨死体験の中で起きた不可思議な出来事にも、超自然的な力が加わった可能性があります。その場合、それはその場にいた人の心を読んだり、千里眼であったり、非科学的な能力はいくらでも考えられます。

 

つまり、魂が肉体を離れて体験した出来事ではなく、脳が超能力を発揮したというパターンも考えられるのです。

 

何度も宣言した通り、私は魂否定派ではありません。むしろ信じたい。しかし、正しく信じるためには、客観的な事実がなければなりません。臨死体験が本物かどうかを区別する際、それが夢なのか、生きて発揮された超能力なのか。それらが排除されて最後にようやく残るのが、「本物の臨死体験」となるのです。

 

ここで言う本物の臨死体験とは、「肉体を離れた魂による体験」を指します。魂が存在する事が間違いない場合ということです。

 

そのような体験があるならば、ぜひ知りたいです。しかし、今までに観てきた体験談は、いずれも夢か超能力で片付けられる事しかありません。

 

この議論を決着させるためには、科学が必要です。科学的な解明によってのみ、魂の存在を特定できるのです。他者から見えない限り、その存在の証明にはなりません。

 

しかし他者から見えていてさえ、証明にはならないという事にはお気づきでしょうか。

 

例えば、同じ幻覚を複数の人が共有体験する事があるそうです。一見すると、複数の人が見たならそれは幻覚ではない、と思いますよね。

 

これには、意識が繋がっているのか、超能力的なものか、様々なパターンが考えられますが、それらが排除されればやっと「心霊を見た」ということが確定できます。心霊が人間の幻覚や超能力によるものではなく、生きた人間から独立して死んだ時から存在し続ける魂であり、それが科学的に証明されるならば、それが霊だと確定できるのです。霊があるなら、魂もあるのかもしれませんが、霊=魂だと誰が証明できるでしょうか?霊は人間の念によって作り出された新たな存在かもしれないのです。

 

霊を信じる人ならば、生霊も否定できないでしょう。生霊こそまさに、生きている人間から生じたものです。いったん生じたものならば、作り出した人間が死んだ後でも残り続ける可能性はないでしょうか。解明されていないものなのですから、「生霊はその人間が生きている間だけ存在するのだ」などと決めつけることはできないでしょう。

 

このような話はいくらでも展開できますし、きりがありません。

 

知りたいのはただ一点だけ。

 

魂は存在するのか?

 

これだけです。

 

魂があるならば、死後の世界もあります。

 

それが別世界なのか、地球上で「肉眼で見えない存在」として永遠に残り続けるものなのかはひとまずどちらでもいいのです。死んだ後に自分が消えなければ、それが死後の世界です。

 

そのような魂の存在について、どのように確認したらよいでしょうか。

 

自分が感じるということや、見たということは、何も証明できません。むしろそれが一番怪しいのですから。自分の体験は事実だと感じる事しかできないのが人間なのです。

 

客観的な証拠。

 

それは科学によってのみ解明できます。

 

私は、臨死体験の科学的な解明によって魂の存在が確認される未来に期待しています。

余談

臨死体験をしたという知人が二人います。当事者から直接聞いたので伝聞ではありません。私は、彼らの話を疑ってはいません。彼らが体験した事実として受け止めています。

 

霊感の強い知人が過去に複数いましたが、特に強い人が一人だけいました。

 

その知人は、そこら中にいる幽霊が全て見えるのだそうです。もちろん、疑わずに信じていました。

何か憑りついていたら見えるし、その場で除霊もできます。

それだけでなく離れていても霊視、除霊ができるというハイスペック霊能者です。

しかし、ある日の出来事から、全く事実ではない霊視を語られたことが後で分かりました。それからは、何が正しいのか、信じるかどうかを判断すべきだと思いました。

 

知人のような人物の能力には、下記のようなパターンが考えられます。

 

  • 全て嘘
  • 全て事実
  • 事実に嘘を交えている

 

私の知人がどれだったのかは分かりません。確かめようがないからです。

 

本人には、本当に見えているのかもしれません。しかしそれが、その人の幻覚なのか、他人の意識を読み取って投影された影を見ているのか、魂の証拠となる存在であるのか。証明できないだけでなく、事実のみを言っているのかすら分かりません。

 

この件から、私の心霊に対するスタンスは変わりました。客観的に事実かどうか明らかにならないものを、受け入れるべきではないのです。しかし否定するわけでもありません。その人にとっては、(嘘でない限り)それは事実なのですから。事実として聞きつつ、その根源が何によるものなのかを考えるようにしています。

 

最後にもう一度書きます。

 

人は、信じたいものを信じます。しかし事実とは限りません。

オススメの映画

死後の世界がテーマの作品です。追求しようとしている部分には共感できるのですが、方法がちょっと…な内容です。

cinema.maruyamapot.com

もう1つ、上記作品のリメイク版もあります。本家のほうが遥かに良いですが、時間があれば見比べるのも楽しいですね。

cinema.maruyamapot.com

死後の世界、あったらいいですね。でもそういうところに付け込んでくる宗教勧誘には気を付けましょう。